シアターリミテ

シアターリミテ|京都を拠点に活動する演劇集団

シアターリミテ

第10回勉強会Study group

「『治天ノ君』を読む」を振り返って

2021年7月31日(土)担当:長谷川 源太

なぜ「治天ノ君」? なぜ「古川健」?

 大好きな戯曲である。近代の歴史的事件を舞台化することに定評のある劇団チョコレートケーキの座付き作家、古川健の代表作。 脳病を患った天皇と言われる大正天皇の生涯を、明治天皇や昭和天皇など家族の側面から描いた秀作である。 そもそも天皇を舞台で描くなど可能なのか、と勝手にビビってしまう私である。 むしろ一見タブーと思われるものこそ、古川は舞台にしたいという。どんな舞台なのか。 興味は尽きず、実際の舞台は京都と東京で2回観たし、戯曲は20 回くらい読み返した。 戯曲嫌い(!)のこの私が、である。
リミテの勉強会でこれを取り上げ、その魅力に迫ってみたいと思った次第。
さて、実際はどうだったのか?

時間軸の複雑さを超越する、物語のけん引力

 「治天ノ君」は、父親の明治帝睦人(むつひと)から「帝には不向き」とケチョンケチョンに言われながら育った病弱の大正帝嘉仁(よしひと)が、自分なりの努力で天皇たらんとする。しかし、髄膜炎を患ったことによって短い大正という時代を、不本意なままに息子の昭和帝裕仁に譲るというのが主軸の物語である。 この主軸を、嘉仁の妃である節子(さだこ)と侍従武官の四竃(しかま)の回想、息子裕仁と宮内大臣牧野の回想を挟むことによって、 時代背景などを解説しながら、物語を進行させる。

 しかし、劇中、「陛下」「殿下」「先帝」など聞きなれない呼称が飛び交い、一瞬、どの時点の会話であるかを見失う。 現に中村千恵は「分かりにくい」との感想だった。「先帝」も、実際に舞台で観るときは「センテイ」としか聞こえないわけで、「え?」と疑問に思った瞬間、物語の進行から取り残されそうになる。 リミテの稽古でも、台詞の音感から観客が疑問に感じないかという観点で、お互いにチェックしている。

 一方で、郷加寿美は、「そこはあんまり気にならなかった」そうだ。彼女はもともとこうした時代の物語に興味があり、 「センテイ」は「先帝」と認識できたという。むしろ作者は回想シーンの時間軸について、観客に正確な理解までは求めてないのではないか、ということだった。 むしろ前述の二つの回想から、家族としての嘉仁、父睦人、子裕仁を描くことで、 物語に厚みと親近感を持たせ、作品全体をけん引している。この二つの回想もクライマックスでひとつのシーンに収斂され、非常に構成がよく練られている。

結局、古川作品の魅力って

 最後に古川作品の魅力について意見交換をした。
 郷加寿美は「歴史的な事件にモチーフを得つつも、登場人物が分かりやすく、単純に共感できる」とのことだった。 「アレは何だったンだろう?」という疑問ばかりが残ってしまうと、次回の舞台を観ようとは思わなくなってしまう。耳が痛い。

 中村千恵は「描かれる素材が、自分の横にピタッと寄り添っている感じ。身近に思える。 終幕の明治節で流れる君が代は、パキっとした感じで、これしかないと思った」とのこと。 独特の言い回しに、彼女の素直な感想であることが窺われる。

 次回作に頭を悩ませている私にとって、古川作品は一つの理想形であり、目標である。 しかし、安易な模倣ではなく、何を描くのか、どこに観る人の共感を得たいか、そこを押さえることこそがミソなのでは。 そんなふうに思えた2時間半だった。

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ミニシアターのような独立性と表現性の高い舞台を追求。

社会人劇団として、同年代の大人の観劇に耐えうる社会性と娯楽性を追求した舞台を目指しています。
一見分かりやすそうでありながら、すべては分からない。
映画で言えばシネコンのような大衆的なものではなく、
ミニシアターのような独立性と表現性の高い舞台を追求しています。

シアターリミテ 主宰 長谷川 源太