シアターリミテ

シアターリミテ|京都を拠点に活動する演劇集団

シアターリミテ

第5回勉強会Study group

『モノクロの絵』を振り返って

2020年7月26日(日)担当:中村 千恵

「白と黒だけで描く」

画材を選択するところから自由であってほしい。 材料の選択肢を残したまま前回と違うことをしたいと思った時「白と黒だけで描く」ことを思いついた。

たとえば、ここは赤色で描きたいと思った時、白か黒だけでどう表現するのか。 自分自身、あまり白黒の絵は描かないので興味深くテーマに選んだ。

本読みの時間

ドローイングについて書かれた本(ドローイング・テクニック 著:ピータージェニー訳:石田友理)を少しづつ読み進めながら、意見を出し合う。 「すべてのアートは線から始まる!」などという副題がついており、著書や寄稿者の専門がデザインやエンジニアという不思議な本。

英文を和訳したためか、なかなか遠回しで分かりにくい文脈、また、この本にはいくつか決めつけがあり、分かりにくい文章になってるのだが「要するに好きなようにやればいいということじゃないのか?」などと手厳しいツッコミや芝居という自身の活動に置き換えた感想が出て楽しい本読みになった。

お絵かきの時間

①ピータージェニーさんの本から
「背中に指で書かれたカタチを、感じるまま紙に表現する。」というエクササイズをやってみた。
伝言ゲームのように、中村が長谷川の背中に指で何かしらの形を描く → 長谷川がそれを郷の背中に伝言として描く → 郷が中村の背中に伝言。
それぞれが背中で感じたものを自由に表現するというもの。言葉の伝言とは違い、全く違う「伝わったもの」が表現され面白かった。

②自由作品
前回に引き続き、自由に描く。
時間は、やっぱり、あっと言う間に過ぎた。
よくジョギングしてる橋のある風景、何やら不穏が漂う室内、光と陰、、など。 前回に比べて具体的なものを描いた絵が多かったように思った。

受講者(長谷川)の感想

ドローイングは今回2回目。今回も、私は時間を忘れて絵を描くことに没頭した。 描こうとするもの、紙面のテクスチャー、何を画材に選ぶかによって、出来上がりが全然違う。

一つひとつが仮定と実験と検証の繰り返しで、もちろん思うとおりに行かないこともあるが、予想もしない発色が浮き上がることもある。
もう、そうなると次に何をどのように塗るか、想像が止まらない。

今回、私は墨汁と白のクーピー、クレヨンなどを用いたが、水彩的な滲みやぼかしの魅力を再発見すると同時に クレヨンなどの油彩の重層性の迫力を楽しんだ。 また、同じように描いてても、郷とも中村とも出来上がりが全く違う。
その感性の違いが面白い。

そして結局、舞台も同じだと気づく。
台本という仮定を作り、稽古場で実験を重ね、客席を前に検証する。 こんなことを考えながら、来春の新作の構想を練っている。

総括(中村)

時間を忘れたかのように一心不乱に描いていた長谷川の感想は「もっと描きたい」だった。 中でも一番嬉しかった部分は、舞台も同じだと気付いた、というところ。 舞台だけでなく、世の中の人が向き合ってる様々な事象への何かしらのヒントのカケラが、そこにあるのかもしれない。

ピータージェニーさんの本にもあったように「いつしか純粋な気持ちで描くことを置き去りにしてしまう」のだ。誰しも。
けれど本来、純粋に画面に向かうことへの恐怖心が取り払われた時、誰にでも絵は描けるのだと思う。

上手いだけが絵ではないし、写実だけが絵ではない、
技術がある人にしか書けない絵もあるけど、それが全てでない。

もっと多くの人の日常生活に「絵を描く」が浸透する日が来ればいいなと思う。

ミニシアターのような独立性と表現性の高い舞台を追求。

社会人劇団として、同年代の大人の観劇に耐えうる社会性と娯楽性を追求した舞台を目指しています。
一見分かりやすそうでありながら、すべては分からない。
映画で言えばシネコンのような大衆的なものではなく、
ミニシアターのような独立性と表現性の高い舞台を追求しています。

シアターリミテ 主宰 長谷川 源太